食べる。(2010年4月18日の出来事から)
ミスドでお茶してました。東京プレッツェリングというのを食べましたが、要はミスドそのものでしたね…
プレッツェルでないのはいいとして、東京がどの辺りを差していたのだろう、と。東京限定、とかかな…
でも店員さんが、ちびっ子眼鏡っ娘で対応がとても良かったので、その点は満足でした。二人いたんですが、おそらく姉妹だったのではないかと。お揃いの眼鏡で顔もクリソツだったから(笑)
そういやミスドは今年で40周年なんですね。
私が生まれ育った街に最初に出来たファストフードがミスドでした。あの時代のあの地域にありがちな如く、私の両親は「誰がこんなに食べるの?」という位な数のドーナツを買ってきて、食べろ食べろと子供達に勧めたものでした。
基本的に私の親の世代は、食べる事に関してはうるさかったと思います。出された物を残さないようにも躾られました。おかげで男の子の私は大概、残り物の始末を担当する事になり、得てして許容量以上のものを胃に納めなければならなかったりしたものです。
私の両親も祖父母も既に他界しましたが、今でも叔父伯母達と会った時に「アンタ食べなくなったねぇ」などと言われます。「だってオレもう45だもの」などと返すのですが。あの人達から見れば、私はまだ子供の頃のままなのでしょう。親が生きていれば、やっぱり同じ事を言ったのかも知れません。
ちなみに下の娘はプラダーウィリー症候群という染色体異常に拠る障害で、症状として「食い意地が汚い」というのがあるのです。…何か業のようなものを感じたりもしたものですがね。
下の娘についてはカミサンが「必要以上に食べない」よう躾をしてくれていて、今のところは上手く行っているようです。食べさせる躾、食べさせない躾、様々ですね。条件が違うのだから当たり前なのですが。
いずれにしても「食べたくても食べられない」という状況だけは避けなけれはいけないでしょうね。私の親が食べる事にあれだけうるさかったのも、彼等の食べたくても食べられなかった経験があったのでしょうから。食糧自給の事もそうでしょうし、子供を餓死させた親の話などを聞くと心が痛みます。